今の仕事、続けたい?―「就業構造基本調査」データから探るアラフォー世代の仕事事情④

総務省「就業構造基本調査」(平成24年)データからアラフォー世代の仕事事情を探るシリーズ、第4回です。

  第1回 アラフォー世代の働き方

  第2回 アラフォー世代の年収の実態

      第3回 アラフォー世代の仕事と学歴と年収の関係

※このシリーズでは、総務省が公開している「就業構造基本調査」(平成24年)のデータから、35~44歳のデータを抽出して筆者が分析した結果を報告しています。

 

アラフォー世代には、今の仕事を続けたいと思っている人、辞めたいと思っている人がそれぞれどれぐらいいるのだろうか?というのが今日のテーマです。

  

今の仕事を続けたい人、やめたい人

アラフォー男性の傾向

まず、アラフォー男性の傾向を見てみましょう。

下のグラフが示す通り、アラフォー男性全体の中では、今の仕事を続けたい人(「継続就業希望者」)が82.0%と、大半を占めています。

そして、他の仕事に変わりたい人(「転職希望者」)が10.9%、今の仕事の他に別の仕事もしたい人(「追加就業希望者」)が6.0%、仕事をすっかり辞めてしまいたい人(「就業休止希望者」)が1.1%、という割合です。

 

 就業形態別に比較すると、次のような点が指摘できます。

 ◆継続就業希望者が多い順に並べると、

  会社役員(88.6%)>正規雇用者(84.5%)>自営業主(81.7%)

       >家族従業者(73.9%)>非正規雇用者(56.4%)

 ◆非正規雇用者において、転職希望者が目立って多い(28.5%)。 

 ◆家族従業者、非正規雇用者、自営業主において、追加就業希望者が10%を超えている。

 

アラフォー女性の傾向

アラフォー女性の場合は、全体の傾向としては、アラフォー男性と比べて、今の仕事を続けたい人がやや少なく(76.6%)、転職希望者がやや多い(14.1%)ことが分かります。

 

就業形態ごとの特徴は男性のデータと類似していて、女性の場合もやはり、会社役員と正規雇用者において、継続就業を希望する人の割合が最も多く、非正規雇用者において転職を希望する人が最も多いことが分かります。

ただ、女性が男性と異なっているのは、就業形態による意識の差が比較的大きくない点。

たとえば、継続就業希望者の割合が最も少ない非正規雇用者でも71.6%で、会社役員や正社員の83.0%と比べて11.4%ほどの差ですが、男性の場合は、非正規雇用者と会社役員との間では32.2%もの差が生じています。

★男女とも、今の仕事を続けたい人が最も多いのは、会社役員と正規雇用

★男女とも、転職を希望する人が最も多いのは、非正規雇用

★特に男性の非正規雇用者は転職希望者の多さが際立っている

 

未婚者と既婚者を比べてみると 

 下のグラフでは、継続就業希望者の割合のみを抽出し、男女別・未既婚別で比較してみました。

総務省が公開しているのは、各性別・各年齢層の全体のデータと未婚者のみのデータですので、ここでは「既婚者データ」=「全体データー未婚者データ」として扱っています。したがって、死別や離別をしている人などもここでは「既婚者」に含まれています。 

 

継続就業希望者の割合が少ない(=今の仕事を辞めたいと思っている人が多い)カテゴリーを順番に挙げてみると・・・

   1位:非正規雇用の未婚男性(今の仕事を続けたい人54.9%)

   2位:非正規雇用の既婚男性(58.8%)

   3位:非正規雇用の未婚女性(64.3%)

   4位:家族従業の未婚男性(68.9%)

 

なお、家族従業というのは、自営業を営んでいる家族の手伝いをしている状況ですので、未婚者が家族従業しているということになると、おそらくは親の仕事の手伝いをしているのだろうと考えられます。

親の仕事を手伝っているアラフォーの未婚男性も、非正規雇用の人たちに次いで、今の仕事を辞めたいと思う場合が多いのですね。

 

年収との関係は?

今の仕事を続けたいかどうかという意識には、年収が重要な影響を及ぼしているだろうと予想できます。

そこで、年収の階層別(ほぼ100万円刻み)に、就業希望意識がどう分布しているのかを見てみます。

  

年収600万円以上になると、継続就業希望者が90%を超えてほぼ横ばいになりますが、年収600万円台までは年収の高さと比例して継続就業希望者の割合が多くなっています。

そして逆に、年収が高くになるのにつれて、概ね転職希望者や追加就業希望者が減っていくことが分かります。

年収100万円台の層で、転職希望者の割合が最も大きく、22.5%を占めています。

 

 

女性の場合も、年収600万円台というのが一つの区切りになっているように見えます。

年収600万円台までは年収と比例して今の仕事の継続を望む人が増え、転職したい人や副業など追加就業を希望する人が減っていく様子がこのデータから分かります。 

年収600万円を超えると、就業希望意識には年収以外の要因が大きく関わってくるのだろうと考えられます。

★男女とも、年収600万円台までは、年収が高くなるにつれて、今の仕事を続けたい人の割合が多くなり、転職希望者等が少なくなる

 

34歳で女優を志願する

東山千栄子という人を知っていますか?

かつて、東山千栄子(1890-1980)という女優がいました。

もともとは舞台を中心に活躍していた女優で、映画にも数多く出演しています。

一番有名なところでは、小津安二郎監督の『東京物語』(1953年)の「とみ」役(東京の子ども達を訪ねるお母さんの役)が挙げられるでしょうか。 

  ↓ 下の動画の0:40ぐらいのところで登場するのが東山千栄子

www.youtube.com

東山千栄子は、女優としては初の紫綬褒章を受章したり、文化功労者に選出されるなど、 その活躍と演劇界への貢献が高く評価されているのですが、この方の女優としてのキャリアは実にユニークなものでした。

というのも、女優としての道を歩み始めたのが遅く、34歳の時だったからです。

 

34歳で女優を志願したわけ

有閑マダムの憂鬱と倦怠

女優になる前の東山の生き方は、というと、いわゆる有閑マダムとしてのそれでした。

上流の家庭(父は東京帝大出身の司法官、のち貴族院議員)に生まれ育った東山は、輸出事業を営む会社のモスクワ支店長を務める男性と18歳の時に結婚し、何不自由ない生活を送っていました。

結婚してからしばらくの間は、海外勤務の続く夫に同行していたのですが、ある時から外国生活が嫌になって、ひとり日本にとどまり、夫のいない留守宅で暮らすことにします。

暇を持てあまして、色々なお稽古事に手を出してみたりはしたけれども、しょせん「奥様芸」の域を出ないもの。

倦怠感は募る一方でした。 

 

人生を変えた関東大震災

そんな中で、東山の人生を大きく変えるきっかけになったのが、1923年に起きた関東大震災でした。

10万人以上の命が奪われる悲劇に直面して、東山は人間の命の儚さと尊さを知り、自分のそれまでの生き方を省みます。

・・・私はいったい何だったのでしょう?ただ生まれてきたから生きているというだけで、これではうじ虫の命と同じだと思いました。私のこれまでの生活は、あってもなくてもいいような、希望も理想もない、ほんとうにむだな、くだらない生活だったのです。

 子供ひとりない私は、子供たちを育て上げるという、大切な母親の義務を果たすこともできません。また、河野(夫のこと:筆者註)の家の両親ともにすでに世を去っていて、お世話をしてあげる人もありません。生活費をかせぐこともなく、ただ主人に食べさせてもらっているのです。

 自活できない、無力な女の生き方に私は疑問をいだきました。そして、なんとか勉強して、独立できるだけの教養を身につけなければならない、そこからほんとうの私がはじまるのだと考えました。

 私はそう決心して、まず、本を読みはじめました。それは、いわば手当たりしだいの、秩序のない乱読でしたがとにかくこうして私は、なにものかをつかまなければならないと真剣に決意したのでした。~「私の履歴書」より

 

そして34歳で女優の道へ

なにものかをつかまなければ」と、真剣に自分の生き方を模索し始めてから約1年が過ぎた頃、東山は演劇(新劇)と電撃的な出会いを果たします。

妹に偶然誘われて出かけた築地小劇場で、世間が年末でせわしないのにも目もくれず、役者たちが芝居に全てを打ち込んでいる姿を目の当たりにして、「これだ!」と直感。

演劇こそ自分の情熱を注ぎ込める対象だと気づいて女優になることを決意した東山は、さっそく築地小劇場創設者の一人である小山内薫に入所を志願しました。

小山内は「中年からはいって成功した人はいないのだが・・・」とつぶやきながらも、東山の熱意に押され、研究生として採用。

「まあ3年間やってみるんですね(それでダメだったら落第)」という、条件つきのスタートでした。

 

鍛錬の日々

研究生として入所するやいなや、それまでののんびりした生活が一変します。

その頃、築地小劇場は人手が足りておらず、研究生を急いで育てて舞台に送り出さなければならない状況でした。

朝は発声などの基礎レッスン、昼は次の公演に向けての稽古、夜は舞台に出演、と、ゆっくり寝ている間さえない毎日が始まります。

何しろ東山は全くの初心者でしたから、演出家の青山杉作からは手取り足取りの厳しい指導がつけられたのですが、若い人のようにすぐには吸収できません。

「芝居を教えるには白紙のほうがよい」はずなのだけれど、「東山さんは、白紙は白紙でも油紙ですね」という皮肉まで青山から言われる始末でした。

稽古場ではもちろんのこと、公演が始まってからも、毎日毎日厳しいダメ出しの連続。

褒められることは、なかったといいます。

ようやく初めて青山から褒められたのは、女優の道を歩み始めて20年たった頃のこと。

その時、思わず目に涙をにじませたという東山の心の中には、血のにじむような努力を重ねた日々の思い出が去来していたのにちがいありません。

 

決断する、ということ

「これほどきびしく言って、あなたは俳優をやめるかと思ったら、とうとうやめませんでしたねえ」

ひたすらダメ出しされ続けた東山が、なぜ挫けることなく、女優としての歩みを続けることができたのでしょうか。

私は、やめられないと思ったのです。やめるなら、自殺するほかないと思ったのです。自分で選んだ道だから、才能がないのなら死ななければならない。しかし勉強で行けるところまでは行こう、どんなときでもコツコツ勉強して、少しでも上へあがって行こう、勉強で行きつけるところまでは行こう・・・と、そのころから私は心がけて来ました。 ~「私の履歴書」より

女優になる決断をしたのが、並大抵の覚悟ではなかったことがよく分かります。

もちろん、これほどまでに強い覚悟が必要だったのには、今とは異なる時代背景も影響しているかもしれません。

当時の日本では、女優という仕事の社会的評価はきわめて低く、東山のような豊かな家庭の女性が女優になるのは、かなりの抵抗が感じられることだったはずだからです。

とはいえ、決断すること=選んだ道を全うすること・やり抜くことであるという真実は、時代がいつであれ、決断した生き方が何であれ、共通しているのではないかと思うのです。

決断した以上、後ろを振り返ることなく、何としてでもやり抜く姿勢を貫きさえすれば、自ずと道は拓かれる

自分の人生をつかみとるための秘訣を、そのように東山は教えてくれているような気がします。

アラフォー世代の仕事と学歴と年収の関係

総務省「就業構造基本調査」(平成24年)データからアラフォー世代の仕事事情を探るシリーズ、第3回です。

  第1回 アラフォー世代の働き方

  第2回 アラフォー世代の年収の実態

※このシリーズでは、総務省が公開している「就業構造基本調査」(平成24年)のデータから、35~44歳のデータを抽出して筆者が分析した結果を報告しています。 

 

今日注目するのは、アラフォー男女の仕事と学歴の関係です。

 

就業形態と学歴

下のグラフでは、男女別、就業形態別(自営業主/正規雇用者/非正規雇用者)に学歴の構成を示しています。

このグラフから分かることの一つ目は、最も学歴が高い傾向があるのは正規雇用だということです。

これは男女ともに共通して見られる傾向です。

たとえば、男性の正規雇用者のうち、大学・大学院卒の割合は39.7%であり、被雇用者の22.7%、自営業主20.5%と比べると大きな開きがあります。

企業に正社員として採用される際、学歴の高さが有利に働きやすい現状をよく表していると言うことが出来ます。

もう一つ、このグラフから窺い知ることのできるのは、男女の違いです。

男性においては、自営業主と非正規雇用者の学歴の分布はきわめて似通っているのですけれども、女性の場合、非正規雇用者よりも自営業主の方が学歴が高い傾向がある、という点です。

女性の自営業主のうち、大学・大学院卒の割合は女性の正規雇用者とほぼ変わらない25.2%を占め、女性の非正規雇用者の大学・大学院卒率(12.4%)のほぼ2倍となっています。

★男女ともに、高学歴者が最も多いのは正規雇用

★女性の場合、自営業主のうちに占める大卒・大学院卒の割合が比較的高い

 

年収は学歴によってどう違う?

学歴と年収にはどのような関係があるのかを見てみましょう。

性別、就業形態別に分析した結果は以下の通りです。

男性の自営業主の場合

 

大学・大学院卒の年収が高い傾向があることが分かります。

年収500万円以上を手に入れている人の割合に注目すると、大学・大学院卒の場合は28.2%であるのに対して、中卒の場合は9.0%、高卒の場合は13.5%、専門学校卒の場合は16.0%、短大・高専卒の場合は15.2%。

高卒、専門学校卒、短大・高専卒の年収の分布には大きな違いがなく、中卒の年収がそれよりもいくらか低めに分布している様子です。

学歴を問わず、年収1000万円を超える人が1%以上いることも、自営業主の特徴だと言えます。

中卒で1.0%、高卒で1.6%、専門学校卒で2.0%、短大・高専卒で2.1%、大学・大学院卒で8.2%の人が年収1000万円以上を稼いでいます。

  

男性の正規雇用者の場合

 

自営業主の場合と比べて、正規雇用者においては学歴による年収の差がいっそう顕著に表れています。

ここでも年収500万円以上の人の割合を算出してみると、中卒で13.6%、高卒で32.7%、専門学校卒で34.7%、短大・高専卒で47.0%、大学・大学院卒で65.2%という具合に、いずれの学歴カテゴリーでも自営業主よりは割合が大きいのですが、中卒<高卒と専門学校卒<短大・高専卒<大学・大学院卒という学歴格差が歴然としています。

正規雇用者の場合、中卒、高卒、専門学校卒で年収1000万円を稼いでいる人は、1%にも満たないことも分かります。

  

男性の非正規雇用者の場合

 

 

非正規雇用者の中でも、おおむね学歴が高いほど年収が高めに分布しています。

年収500万円以上の人の割合は、中卒で0.9%、高卒で1.8%、専門学校卒で3.7%、短大・高専卒で5.7%、大学・大学院卒で8.6%となっています。 

 

女性の自営業主の場合 

 

女性の自営業主が年収500万円を超えている割合は、中卒で0.7%、高卒で2.1%、専門学校卒で3.6%、短大・高専卒で0.8%、大学・大学院卒で10.1%となっています。

さらに、年収1000万円を超えている女性自営業主の割合はどうかというと、高卒で0.2%、大学・大学院卒で1.4%、それ以外の学歴カテゴリーではいずれも0%です。

男性の自営業主と同様に、女性の自営業主についても、大学・大学院卒の年収が幾分か高めに分布していることが分かります。

ただ、学歴による年収の分布の差は、次に見る正規雇用者ほど大きいものではありません。 

 

女性の正規雇用者の場合

 

男性の正規雇用者と同じように、女性の正規雇用者においても、学歴による年収の差が目立っています

年収500万円を超える人の割合は、大学・大学院卒(39.7%)>専門学校卒(18.9%)>短大・高専卒(16.1%)>高卒(6.9%)>中卒(2.8%)。

大学・大学院卒において、その割合が際立って高いことが分かります。

女性の正規雇用者で年収1000万円を超える人の割合は、大学・大学院卒で1.7%、専門学校卒と短大・高専卒で0.2%、中卒と高卒で0%。女性の自営業主の場合とほぼ同程度の割合となっています。

 

女性の非正規雇用者の場合 

 

女性非正規雇用者についても、学歴が高いほど、年収の高い人の割合が多い傾向が見られます。

女性の場合、全体的に大学・大学院卒に次いで専門学校卒の年収が高めに分布し、短大・高専卒を凌いでいて、この点で、男性(短大・高専卒>専門学校卒)とやや異なっています。

 

年収500万円以上、年収1000万円以上の人の割合

最後に、就業形態別(自営業主/正規雇用者/非正規雇用者)および学歴別に見た時、年収500万円以上の人、そして年収1000万円以上の人がどれくらいの割合でいるのかを、グラフにまとめてみます。

非正規雇用者については、年収500万円以上は細かく区分されず、ひとまとめにして公開されているため、年収1000万円以上の人の割合のグラフは自営業主と正規雇用者のデータのみ示します。 

 

 

★自営業主/正規雇用者/非正規雇用者といった違いを問わず、また、性別を問わず、学歴が高いと全体的に年収が高くなる傾向がある。

★中でも正規雇用者において、学歴による年収格差が特に顕著に見られる。

★男性の場合、どの学歴カテゴリーにおいても、正規雇用者よりも自営業主の方が、年収1000万以上の人の割合が大きい。

 

アラフォー世代の年収の実態

前の記事と同じ、就業構造基本調査(平成24年)のデータから、今日はアラフォー(35~44歳)の年収に注目します。

アラフォー世代は、いったいどれぐらいの年収を稼いでいるのでしょうか?

男女別に見ていきます。

 

アラフォー男性の年収の分布

まず、年収を「~199万円」「200~499万円」「500~999万円」「1000~1499万円」「1500万円~」という5カテゴリーに分けてみました。

※ただし非正規雇用者については、500万円以上のデータは一括りにして公開されているので、「~199万円」「200~499万円」「500万円~」という3カテゴリーで分析しました。

 

35~44歳の男性全体の傾向としては、下のグラフが示すとおり、年収200~499万円の層が最も多くて51.4%を占めています。

その次に多いのが、年収500~999万円の層です(36.4%)。

年収の分布は、自営業主、正規雇用者、非正規雇用、という就業形態によって、大きな違いが見られます。

この3つのカテゴリー中で最も平均年収が高いのは正規雇用者です。

年収500万円以上の人が半数近く(45.4%)を占めています。

自営業主の場合、年収500万円以上を稼いでいるのは16.2%ですし、非正規雇用者ではわずか3.5%にすぎないのと比べると、かなり大きな開きがあります。

非正規雇用者は、年収200万円未満のいわゆるワーキングプアが44.0%で、もし他に頼ることのできる収入源がないのだとしたら、苦しい生活を強いられている人も少なくないでしょう。

自営業主も、年収200万円未満の人がほぼ1/3を占めていますが、ただ、自営業主の場合は年収1000万円以上を稼いでいる人が一定数いるのが特徴的です。

決して大きな数値であるとはいえませんが、自営業主のうち年収1000万円以上の人の割合(2.9%)は、正規雇用者の3.2%に匹敵しているといえ、さらに年収1500万円以上の人の割合(1.4%)は正規雇用者(0.4%)を上回っています。

★年収が最も高めに分布するのは正規雇用

★逆に、非正規雇用者は低所得者の割合が最も高い

★自営業主は、正規雇用者と比べると年収は低めに分布しているものの、一部の自営業主に限っては正規雇用者が得られないほどの高収入を手にしている

 

アラフォー女性の年収の分布

アラフォー男性と比べると、アラフォー女性の年収は全体的に低い傾向が見られます。

年収200万円未満の人が半数以上の54.7%。

そして年収500万円以上を稼いでいる人は、男性では39.9%いますが、女性だとわずか8.6%にとどまっています。

 

前の記事で見たとおり、女性は非正規雇用者として働く人の割合が多く、それが女性全体の年収の分布を引き下げている側面もあるだろうと考えられます。

特にパート主婦であれば、税金や社会保険におけるメリットを考えて、配偶者の扶養範囲内を超えないよう、年収を106万円や130万円以下に抑える人も多いでしょう。

男性のデータと同じく、女性においても自営業主、正規雇用者、非正規雇用者の3カテゴリー中では正規雇用者が最も年収が高いのですが、その正規雇用者にしても、男性と比べれば全体的に年収が低いことが明らかです。

たとえば年収が500万円以上の人は女性の正規雇用者の中でも19.2%にとどまっています。 

また、年収1000万円以上を稼いでいる女性は正規雇用者で0.6%、自営業主で0.4%であり、男性よりもさらに少ない数値となっています。

★自営業主、正規雇用者、非正規雇用者、いずれのカテゴリーにおいても、女性の年収は男性の年収と比べて少ない傾向がある

正規雇用者>自営業主>非正規雇用者の順に年収が多い傾向は、女性も男性と同じ  

アラフォー世代の働き方―就業構造基本調査データから分かること

現在の日本のアラフォー世代は、いったいどんな働き方をしているのでしょうか?

総務省が公開している就業構造基本調査(平成24年)のデータを調べてみました。

以下は全て、35~44歳の日本人男女のデータを、私が抽出して分析した結果です。

 

35~44歳の人のうち、働いている人の割合は?

男性の場合、仕事をしている人(有業者)が90%以上を占めているのに対して、女性の場合、有業者は70%弱にとどまっています。

さらに、働いている女性の中でも、その1/3(女性全体の23.4%)は、あくまで家事がメインの仕事をしている人、すなわち主婦業のかたわらで仕事もしている人です。

35~44歳の女性は、仕事が主の暮らしをしている人(45.0%)、主婦業のかたわらで仕事もしている人(23.4%)、仕事をしていない専業主婦(27.9%)に三分されていることになります。

仕事が主の生き方をしている人が圧倒的多数を占める男性と比べると、かなり対照的ですね。

 

★アラフォー男性→仕事が主の人がほとんど

★アラフォー女性→仕事が主の人、主婦業が主だが仕事もしている人、仕事をしていない専業主婦に三分

 

正規雇用者の多い男性、非正規雇用者の多い女性

下のグラフは、仕事をしている35~44歳の男女が、どのような形で働いているのかを示しています。

男女それぞれ、全体の傾向と未婚者だけの傾向を見ることができます。

まず男女を比べてみると、男性の方が正規雇用者の割合が大きいことが分かります。

男性全体で言えば、仕事をしている人の78.7%が正規雇用者として企業に勤めている状況であるのに対して、女性では正規雇用者の割合は40.7%にすぎず、非正規雇用者の52.3%を下回っています。

ただし、女性においても、未婚者に限定すれば、正規雇用者の割合が57.8% と半数以上を占めます。

つまり、女性の場合、未婚者であれば正規雇用者が過半数を占め、逆に、既婚者であれば非正規雇用者の方が正規雇用者を上回っているわけです。

結婚するまでは正社員として働いていたけれども、結婚をきっかけに会社を辞めた後、仕事を復帰する際には非正規で雇われる、といったケースが多いのだろうと思われます。

男性は、結婚しているかどうかを問わず、正規雇用者の割合が全体として多いのですが、未婚者の方が非正規雇用者率が高いというのは、女性と異なっている点です。

男性は結婚に際しては経済力が期待されることも多く、収入の低い非正規雇用者は結婚しづらいという事情がこの数字の裏に潜んでいるのかもしれません。

このほか、会社役員や自営業主の割合が男性の方がやや高いのも特徴的です。

★全体的に男性の方が女性よりも正規雇用者が多い

★男性においては、既婚者よりも未婚者において非正規雇用者が多い

★女性においては、未婚者よりも既婚者において非正規雇用者が多い

★雇用者が圧倒的多数を占める一方で、自営業主は少数派

 

非正規雇用者の内訳

非正規雇用者が、具体的にどのような身分で働いているのか、その内訳も見てみましょう。

男性においては、契約社員の割合が最も高く、アルバイトがそれに続く傾向があります。

これは男性全体のデータにも、未婚の男性のみのデータにも、共通して見られる傾向です。

一方、女性の場合は、パートとして雇われている人が多いことが目を引きます。

女性の非正規雇用者の66.8%がパートです。

未婚の女性だけのデータを見ても、やはりパートが一番大きな割合(35.0%)を占めているのですが、ただ、未婚の女性の場合は、契約社員派遣社員として働いている人が比較的多いことが分かります。

非正規雇用の男性→契約社員、アルバイトとして働いている人が多い

非正規雇用の女性→パートとして働いている人が特に既婚者に多い

 

起業者の比率

自営業主として働いている人は、雇われて働いている人と比べると、あくまで少数にとどまっています。

自営業主の中で、自ら事業を起こした人がどれぐらいいるか、というのが次のグラフです。

男性の自営業主のうち74.7%、女性の自営業主のうち53.9%が自分で事業を起こしたと回答しています。

女性の場合は、未婚の自営業主に限定するならば、その割合は比較的高く、男性と匹敵するくらいの数値(66.5%)となっています。

会社役員の中に占める起業者率は、自営業主の中の起業者率よりは全体として低いのですが、男女および未既婚による特徴のあらわれ方は共通しているといえます。

つまり、会社役員のうち、自分で事業を起こした人の割合は、既婚女性において顕著に低い傾向がうかがえます。

おそらく、既婚女性が会社役員である場合は、自分自身ではなく夫などが立ち上げた会社でそういった地位を獲得するケースが多いのだろうと推測できます。

★自営業主のうちの69.0%、会社役員のうちの34.3%が自分で事業を起こした起業家

★既婚女性の自営業主および会社役員については、自分で事業を起こした人の割合が比較的低い

41歳で初主役をつかんだ森光子(続き)

31歳から歩み直した女優の道

結核の療養を終えて、森光子は31歳にして芸能界復帰を果たす。

戦時中は主に前座の歌手として活動していたが、この頃からは女優として生きる道に方向性を定めて、関西のラジオ番組、舞台、草創期のテレビ番組に、喜劇作品を中心に出演を重ねる。

横山エンタツ花菱アチャコミヤコ蝶々南都雄二中田ダイマル・ラケットら、名だたる喜劇人の胸を借りながら、着々と実力をつけていく。

収入が安定したのは、36歳の時に朝日放送専属となった頃から。

そして、37歳で出演したテレビ番組『びっくり捕物帖』が人気を博したあたりから、喜劇女優として世間に認められた手ごたえも感じられるようになる。

 

38歳で運命の出会い

そして女優としての人生を変える最大の出会いが訪れたのが、38歳の時。

それは、劇作家・菊田一夫との出会いだった。

当時すでに東宝重役の地位にあった菊田が、仕事で大阪に訪れた時に、たまたま森の演技を観たのだ。

菊田は、東京へ帰るために急いで空港へ向かおうとしていたのだが、たまたまハイヤーがすぐに来なかったため、梅田コマ劇場で行われていた公演を、3分間だけ、客席の後方から覗いたのだという。

そしてその時、菊田一夫の目に留まったのが森光子だった。

 

41歳で初めて主役に

菊田は、東京で自分が手掛ける作品に出演してみないか、と、森にオファーする。

大物劇作家からの誘いに、森は喜んで応じるものの、ただし初めは、あくまで脇役としての出演だった。

「君の芝居はとても面白いが、やっぱりワキ(脇役)だな。越路吹雪のようにグラマーでもないし、宮城まり子のような個性もないからね。」と、出会ったばかりの菊田に言われたこともある。

いつかは主役を、と夢みていた森は、この言葉にショックを受けたけれども、菊田から与えられた役を一つ一つ懸命に演じていく。

そのうちの一つが、「がしんたれ」という作品中で演じた林芙美子役だった。

出番は決して多くない役ではあったが、客席からの評価が高く、これがきっかけとなって森の演じる林芙美子を主役とする作品「放浪記」が上演されることが決まる。

森にとっては、41歳にして初めてつかんだ主役である。

「幸せはいつも目の前でユーターンする」と、いつもため息をついていた森。

しかし今回ばかりは、幸せはユーターンしなかった。

「放浪記」は、芸術祭文部大臣賞を受賞し、森がこののち2000回以上にわたって出演する、生涯を通じての代表作となる。

「放浪記」の成功後、舞台のみならず、映画やテレビドラマ、テレビの司会など、次々と活躍の場を広げていき、日本を代表する女優としての地位を確立する。

 

森光子の自伝『人生はロングラン』を読んで

 

チャンスは、準備ができた人のもとに偶然を装って舞い込んでくる。

それが、森光子の自伝を読んで、私が強く感じることだ。

森が主役を初めてつかみとるまでには、デビューしてから実に28年の歳月がかかった。

映画女優から歌手へ、そしてラジオやテレビでの活躍を経て、舞台主演女優へ。

自由な生き方を時代が許さぬ中、自分がより輝ける場所を手探りで求め続けた。

そして、与えられた仕事を一つ一つ真剣にこなして実力をつけ、周囲からの信頼を得ていった先に、大きな飛躍の舞台が待っていた。

チャンスをつかみ取るためには勇気も大切だ。

38歳で菊田一夫に見出された時、地盤を固めつつあった大阪を去って、東京で一から始めることには、反対する声も周囲にはあったという。

だが、森は新しい挑戦に賭けて、一路、東京へ向かった。

後ろを振り返らず挑戦し続けること、目の前の仕事に一心に打ち込むこと。

こういった姿勢が人生を変える大きな波を手繰り寄せるのだと、森の自伝は教えてくれるように思う。

「成功者」たちのアラフォー時代

社会的に「成功」している人を見ると、ついつい、その人の華やかな側面ばかりに目を奪われてしまうものだ。

本当は、その人が「成功」をつかむまでに、苦労や試行錯誤を重ねる長い道のりがあったのだとしても、その過程はあまり知られていなかったりする。

「成功」した著名人の中には、30代半ば過ぎてから、ようやくその才能が日の目を見た人も多い。

遅咲きの「成功者」たちの物語に勇気づけられるのは、私だけではないだろう。

彼ら彼女らの話から、「自分もまだまだ頑張れる!」と力強く励まされるし、人生を良くするための秘訣を学ぶこともできる。

そこで、このブログでは、30代半ば以降に大きな花を咲かせた著名人を取り上げていこうと思う。

まず1回目は、女優の森光子の話。

41歳で初主役をつかんだ森光子

13歳で映画デビュー

森光子(1920-2012)は、いわずと知れた国民的女優の一人だが、その女優としての道のりは、決して順風満帆だったわけではない。

森が女優としてのデビューを果たしたのは1933年

きっかけは母の死だ。

森の母は、もと祇園の芸妓で、木屋町二条の割烹旅館を営んでいた。

大阪の繊維会社の跡取り息子だった父とは結婚していない。

父は別の女性と家庭を持っており、森たちのもとには1ヶ月か2ヶ月に1度やって来て、ご飯を食べたらすぐ帰っていくのだった。

母が結核で亡くなると、たちまち割烹旅館の経営は傾き、森は1学期だけ通った女学校を中退、一転して女優の道を志す。

それが13歳の時だ。

本当のところはハイカラな少女歌劇の舞台に憧れていたのだが、伯父の薦めでいとこの映画俳優・嵐寛寿郎を頼って映画界入りし、時代劇映画に端役として出演する。

20代前半は歌手として巡業・戦地慰問の日々

森が20代前半だった頃は、日本が戦争に突き進んでいった時代だ。

戦争の影響で映画が自由に作れなくなると、森は歌手に転身する。

21歳の時に、レコードデビューの話が舞い込んできたのだが、歌の内容が感傷的すぎるとの理由で検閲にひっかかり、中止になってしまう。

その後はチャンスを求めて上京し、スター歌手の前座をつとめる日々。

浅草で歌い、日本各地を巡業して歌い、そして22歳から24歳の頃には、中国、シンガポール、ボルネオ、セレペス、チモール、バリ、ペナンへの戦地慰問団に参加する。

チモールでは、出撃する特攻隊の兵士を見送った。

暑さに弱い森にとっては、南方の戦地慰問は過酷であり、肺浸潤に冒されて帰国する。

戦争が終わった20代後半、再出発を試みるものの・・・

戦後、焦土と化した東京では仕事も生活も見通しが立たないので、京都へ帰郷し、伯父のもとに身を寄せる。

まずは関西で仕事の地盤を固めようと、大阪の劇場を駆け回って、主に歌手として活動をする。

ただ、この頃には歌手としての自分の才能にそろそろ限界を感じ始めていたようだ。

29歳の時には、無理がたたってついに肺結核になり、療養生活を余儀なくされる。

もはや仕事復帰は絶望的だと医師は見ていた。

2年余りの療養を終えて健康を取り戻した時には、森はすでに31歳。

仕事に復帰を試みるものの、芸能の世界での数年のブランクは大きく、知人からかけられた言葉は「あっ、森みっちゃん? 生きてたの」。

しかし、森の女優としての道はここから始まる。(つづく)